風のローレライ


第3楽章 風の涙

2 早苗ちゃん


雨が降っていた。6月に入ってからずっとそうだ。
わたしの中にも雨が降り続いている。早苗ちゃんが倒れたあの日から……。

「お友達の具合はどう?」
マー坊のおばあさんが訊いた。
「それが、あまりよくないの。5月の時は、少しベッドに起き上がって、お話できたんだけど、今日は面会もできなくて……」
注いでくれた麦茶のコップが汗ばんだまま、お膳の上に置かれている。喉はとても乾いているのに、何だかそれを取る気にならなかった。
空が雲に覆われているせいなのかな? 家の中がいつもより暗く見えた。

窓際にはアジサイの鉢植えがあって、きれいな花を咲かせている。
「そうそう。アキラちゃんにもらったリンドウも大きくなったでしょう? あと少しでお花が咲くわね。とても楽しみよ」
3つの鉢に植えられていたそれらは、どれも生き生きと伸びている。
おばあさんは大切に育ててくれているんだ。
この花が咲く頃には、早苗ちゃんも元気になって退院できるといいのに……。
でも……。現実はあまりに残酷で……。考えただけで涙が溢れた。

――お医者様は、いろいろ手を尽くしてくださったの。でも……

聞いてしまったから……。
彼女を助けるためにはもう、心臓移植するしかないって……。
それはとても難しい手術で、しかもお金がたくさんかかるんだって……。
西崎が言うには、1番いいのはアメリカに行って移植手術を受けることなんだって……。
でも、5千万〜1億くらいかかるって言う。そんなお金、とてもないからと、早苗ちゃんは言った。

そんな大金、どこの家にだってあるわけないよ。でも、わたしはどうしても早苗ちゃんを助けてあげたかった。
だって、あの子はとてもいい子なんだよ。あんないい子が死ななくちゃいけないなんておかしいよ。
そんなの、絶対にいや!
だけど、わたしには何もできない。お金なんかないし、心臓をあげるわけにもいかない。

――募金で集めたら?

メッシュが言った。

――そうだよ。時々、そういうケースあるじゃん。ニュースで見たことあるよ。難病で、どうしても移植が必要な子どものために募金を呼び掛けているの

お姉さん達も言った。
わたしはずっと彼らの家に居候させてもらっている。
しばらく学校に行っていないメッシュのためにも、所属している中学校の情報を聞かせて欲しいと、お母さんにも頼まれていたからだ。

「アキラちゃん、お友達のためにがんばるのもいいけど、自分の体も大事になさいね」
おばあさんが言った。
「大丈夫。わたしは丈夫にできてるから……」
「また、駅に行くの?」
「うん。武本先生が警察の人に頼んでくれたんだ。募金活動するにも許可が必要だなんて知らなかったから、ほんとに助かった」

「そう。それはよかったわね」
「先生は、ほんとにいい人だよ。早苗ちゃんのために募金活動をしたいって言ったら、学校新聞に載せてくれて、なるべく多くの人に呼び掛けてくれるって……」
「そう。それじゃあ、このリンドウのお花が咲いたら、教室に持って行ってね。先生にいただいた種ですもの。ぜひ、お見せしなくちゃ……」
「きっと喜んでくれると思う」
鉢は3つあった。どの鉢からも緑の初々しい葉がすくすくと育っていた。


そして、日曜日には、その武本先生も募金の応援に来てくれた。
「重い心臓病の女の子の命を救うため、移植のための募金をお願いしまーす!」
駅や公園ではたくさんチラシを配った。
中学生の女の子の命が懸かっていると訴えると、たくさんの人が関心を持ってくれた。
でも、一日がんばっても募金の額は大して集まらない。

お休みの日には、夏海さん達も協力してくれた。
それに、プリドラのメンバー達も……。
裕也とメッシュは応援ソングを作ると言ってくれた。

――そうしたら、夏にはチャリティーコンサートをしよう!

裕也もグッズの販売とかイベントの企画だとかいろいろな提案をしてくれた。
みんなが早苗ちゃんのことを応援してくれている。
だから、お願い!
移植のお金が集まって、手術が成功しますように!


次の日。学校に行くと、西崎が近づいて来て言った。
「はい。これ」
いきなり、わたしの手に封筒を押し付けて来る。
「何?」
思わずそう言った。

「何ってことないでしょ? 募金のお金よ! どうせまだ、ろくに集まってないんでしょ?」
「あ、ありがと」
一応、お礼を言って受け取ろうとしたら、西崎が大声で言った。
「言っとくけど勘違いしないでよ。これは、あくまでもクラスメイトの岩見沢さんの移植手術に対する募金で、あなたに差し上げるお金じゃないんですからね」
「そんなこと、わかってるよ!」
わたしはムカッと来た。確かに、移植をするなら、アメリカに行ってした方がいいとか、そのためには、たくさんお金が必要だとかって教えてくれたのは西崎さんだけど、いっつも一言多いんだよ。

――わたし、何度もアメリカに行ってるから、事情を知ってるんだけど、あちらにだって、移植を待っている子はたくさんいるのよ。そこにいきなり日本人が行ったって、すぐに受け入れてもらえるわけじゃないの。それに治療費が莫大に掛かるの。滞在費だって馬鹿にできないしね。つまり、一般庶民には到底無理ってこと
――だったら、お金を稼げばいいじゃない
わたしが言うと、西崎は鼻で笑った。
――それって少なくとも5千万とか1億とか必要なのよ。貧乏人には逆立ちしたって届かない金額だわ

そんな風に言われて、すごく悔しかった。何が何でも早苗ちゃんを助けたい。だから、募金を始めた。
確かに、今はまだ少ししか集まっていないけど、だんだん募金してくれる人の数だって増えてる。きっと集まる。わたしは、そう信じてる。

それでも、西崎は封筒をひらひらさせて言った。
「パパもPTAを通じて大口の寄付をすると言ってたわ。だってほら、かわいそうな人には恵んであげなくちゃいけないでしょ? だから、わたしもおこづかいから少しばかり募金してあげることにしたの」
「ありがとう」
憎たらしいけど、今は少しでもお金が欲しい。だから受け取った。

「ちゃんと中を確認してね。あとで入っていなかったなんて言われたくないから……」
「わかった」
わたしは封筒を開いて、お札を数えた。1万円札が10枚。こんな大金をおこづかいだなんて言える奴って、いったいどんな生活してんだろ?
「皆さんも証人になってくださいね。わたしが確かに10万円募金したって……」
「すっげえ! 10万円だって……」
クラスメイト達はざわついた。
「おれ、こないだ10円募金したけど……」
「わたしも……」
「でも、そんなお金、教室に置くのって危なくない?」
いろんな意見が出た。

その時、
「おはよう! あれ? みんな、何を騒いでいるのかな?」
武本先生が来て言った。
「西崎さんが10万円募金してくれるって預かったんですけど……」
わたしはそう言ってお金を見せた。
「そうか。西崎さんも、岩見沢さんのことをとても心配してくれているんだね。みんながそうやってクラスメイトのことを思って募金してくれること、僕はとてもうれしいと思うよ。みんなやさしくて、ほんとにいい子ばかりで、担任として僕は心から誇りに思う」
先生の言葉に、みんなは少し恥ずかしそうにしていた。西崎なんか頬を赤くしちゃってる。でも、先生は続けてこう言った。

「だけど、学校に大金を持って来るのはどうだろう? 学校には、いろんな人が出入りするし、移動教室なんかで教室に誰もいなくなることだってある。もしも、そのお金を紛失したりしたら、きっといやな思いをする人が出るかもしれないと思わないか? だから、そういう時には、先に先生に相談して欲しいと思う。取り合えず、このお金は放課後まで職員室で預かることにします。それでいいですか? 西崎さん」
「はい。構いません」
「それじゃ、西崎さんは放課後、先生のところに来てね。お話したいこともあるから……」
「はい、先生」
西崎は、少し得意そうにうなずいた。

何よ。家がちょっとくらいお金持ちだからってさ。
武本先生だって甘過ぎるよ! もっと叱ってやればいいのに……。
そもそも学校にお金持って来るの校則違反だって、まえにも注意してたことあったのに……。
もっとも、あの時は学校帰りに買い食いするのが問題にされてた時だったけど……。

だけど、先生が行ってしまうと、西崎はまた嫌味を言った。
「よかった。武本先生にお金預かってもらえて……。その方が何倍も安心だもの。だいたい募金の責任者が桑原さんだなんて納得行かないわ。使い込みされそうで怖いじゃない? だってあなた、お金に困ってるんですもの。目の前に餌がぶら下がってたら、飢えた動物にとっては、がまんを強いるのは辛いことでしょ?」
「それ、どういう意味よ?」
わたしは頭に来て言った。
「言葉の通りよ」

「そんなことするわけないよ! 募金で集めたお金は、みんな早苗ちゃんの手術のために使ってもらうんだから……」
「ふうん。手術ね。でも、彼女の体、そんなに体力が持つのかしら?」
「何言ってるの?」
「だって、そうでしょう? そんな大金、おいそれと集まるものじゃないし、それまで、あの子の体力が持たないんじゃない? でも、仕方ないか。世の中すべて弱肉強食だもの。弱い者はさっさと退場してもらわないとあとがつかえちゃうしね」
「早苗ちゃんに死ねって言うの?」
わたしは切れた。

「わたしは別に……。彼女のことを言ったんじゃないわよ。世間一般のことを言ってるの」
思い切り言ってたじゃん! なのに、誰も彼女に逆らおうとしない。何でよ!
「……誰だって病気になんかなりたくないんだ! 誰だって元気に走り回っていたいんだよ! それを……! 早苗ちゃんだって今、生きようと一生懸命がんばっているのに……。死んだ方がいいなんて、そんな風に思うあんたの方こそ死ねばいいんだ! 何が弱肉強食だ。あんたこそ、豚にでもライオンにでも食われてしまえ!」
わたしは思わず両手を強く握った。闇の風がふつふつと湧き出して来るのを感じた。でも、ここでそんなことをしたら、関係のない人達まで巻き込んでしまう。苦しい。だから、わたしは走って教室を出た。

何だろう? この感じ。胸の奥にどろどろしたものが渦巻いているような……。
それが外に出たがってる。
闇の風が……。
わたしの中に闇がある。
でも、それを外に出すわけには行かない。
だって、ここは学校なんだもの。
人がいっぱいいる。
でも、その学校にさえ、闇はある。廊下や教室の隅にうずくまり、隙を見せたら取り込まれそう。

わたしは一人、廊下を歩いた。もう授業が始まっているのか、廊下には誰もいない。
でも、教室に戻りたいとは思わなかった。
「桑原さん?」
養護の岸谷先生が声を掛けて来た。
「どうしたの? そんなところで……。具合が悪いのなら保健室にいらっしゃい」
「あ、はい」
わたしは言われるまま、彼女に付いて行った。


「ベッドに横になる?」
「いえ、大丈夫です」
保健室には、他には誰もいなかった。

「この間はどうもありがとう」
ドアを閉めると岸谷先生が言った。
「えっ?」
「ほら、4月の雨の夜のことよ。あの時は、あなたが来てくれて本当に助かったの」
先生は声を潜めて言った。細い花瓶には紫の花が2本少し首を傾け、こちらを見ている。
「助かった? なら、どうして警察に行かなかったんですか?」
富田みたいな変態男に襲われそうになってたのに……。
でも、困ったような顔をして俯く岸谷先生を見ていると、わたしは言ってしまったことを後悔した。

――警察? そんなところに行って救われると思ったら大間違いだよ!

思い出した。
わたしがまだ、うんと小さかった時、通り掛かったお巡りさんに助けを求めようとしたら、あの女が言ったんだ。

――誰も信じちゃくれないんだよ! あんたみたいなガキの言うことなんかね

そして、それは本当だった。
小2の頃、お父さんからひどい折檻を受けた。それで、警察にかけ込んだけど、そのあと親達が来て、この子には虚言癖があるって言ったら、彼らはそっちを信じて、わたしはあっさり帰された。

――あまりお母さん達を困らせちゃいけないよ。昔からうそは泥棒の始まりって言うだろ? お巡りさん達も忙しいんだ。いつも君のうそに付き合ってはいられないんだよ

そう言うと、若いお巡りさんは、自転車に乗って、見回りに行ってしまった。

もう、大人なんて誰も信じられないと思った。お巡りさんだって同じ。それなのに、どうして警察に行けなんて言っちゃったんだろ? それは犯罪だと思ったからだ。
でも、先生は言った。

「私だって逃げ出したい。でも、大人にはいろんな事情があるの。先生にはまだ小さな赤ちゃんがいてね、ここを辞めさせられたら困っちゃうの」
きっと富田に脅されてるんだ。かわいそうに……。なら、いっそのことあの男を消してしまったら……? 闇の風で……。わたしの力で……。
そうしたら、岸谷先生だって救われる。そう思った。
消してしまおうか。本当に……。
でも……。

その時、ノックの音がして、体育の時間にケガをしたと言って、2年生の男子が入って来た。
岸谷先生はその子の手当てを始めたので、わたしは保健室を出た。

大人の事情か。
けど、子どもにだって事情はある。大人になんか言えない事情がいっぱいあるんだ。

あーあ。このまま外に出たいな。

――でも、彼女の体、そんなに体力が持つのかしら?

そうだよ。早くお金を集めないと早苗ちゃんが死んじゃう!
わたしは、急いで昇降口に向かった。
でも、職員室の前を通り掛かった時、武本先生に呼び止められた。
「桑原さん! どうしたの? そんなに急いで……。まだ、授業終わっていないでしょう?」
「はい。でも、何だか気分が悪くて……。今日は早退させてください」
わたしは、なるべく目を合わせないようにしたけど、先生はじっとわたしを見つめている。やっぱ、ばれちゃったかな?
「わかった。みんなにはそう伝えておく。でも、今日だけだよ」
先生は一歩近づいて、わたしの肩に手を置いて言った。

「西崎さんが言ったことを気にしているの? それなら、僕からも注意しておくから……。君はそんなこと気にしちゃいけないよ」
「ありがとうございます。でも、それだけじゃないんです。わたしの中で、どうしても納得できないことがあって、それで……」
「いいよ。今日は一日、君が思ったようにしてごらん。でも、明日からはちゃんと学校に来るんだよ。そうしなければ、岩見沢さんだって心配してしまうからね。彼女に心配させたんじゃ、元も子もないだろう?」
「はい」
先生はわかってくれているんだ。学校なんかいやなところだと思っていたけど、味方になってくれる人もいる。それだけで、わたしの中でくすぶっていた闇が少しだけ晴れて行くような気がした。

外に出るとまた、雨がぱらついていた。
今日は傘を持って来なかったから、少しだけマー坊のおばあさんの家に寄らせてもらおう。
でも、こんな時間に行ったら、おばあさんを驚かせてしまうかな?
そんなことを思いながら裏通りに出た。すると、見慣れた車が勢いよく走り去るのが見えた。
あれは、あの男の車だ。
間違いない。あの男とお母さんが乗っているのを見たから……。
でも、どうしてここにあいつらがいるの? まさか、おばあさんのところに……?

――その鈴木さんって方の連絡先を教えてもらえませんかね? ぜひ、お礼を言いたいものですから……

いやな予感がした。
わたしは走った。
おばあさんの家のすぐ脇にトラが倒れていた。
濡れた道路に点々と赤い血が付いている。
あの車に轢かれたんだ!
「トラ!」


おばあさんは、トラのためにお線香を立てた。
ケガした猫をダンボールに入れて、おばあさんと二人で獣医さんに連れて行ったけど、やっぱり助からなかった。
そこの獣医さんが、ペット専用の供養をしてくれる業者を紹介してくれて、トラはそこに連れて行かれた。
「かわいそうだったけど、トラももう年だったからね。きっと寿命だったんだよ」
おばあさんが慰めるように言った。でも、あいつのせいだ。うちのバカ親が車で轢いたりしなければ、もっと長生きできたはずなんだ。そう思ったら悔しかった。

何だかひどくお線香の煙が目にしみた。
その流れを見ていると、闇の風を思い出した。
煙とは違うけど、風も煙も制御できない方向に流れて行く。ううん。そうじゃない。
制御ならできる。あまり大きな風じゃなければ、わたしのこの力をうまく使えたら……。

何かできないだろうか? 早苗ちゃんのために……。
でも、何も考えつかなかった。彼女に闇の風が憑いているわけじゃないし、風の力を使って病気の治療ができるわけでもない。

――キラちゃん

煙のように儚い笑顔が思い浮かぶ。

――わたしにも好きな人がいるの。それは、わたしの主治医の先生

だからって……。ずっと入院したきりでいるなんて……。そんなのだめだよ!

――助かるには、もう心臓移植しかないんだって……
――だったら、そうしようよ。それがどんなに難しいことでも……
わたしが言うと、彼女は寂しそうな顔をした。
壁もベッドも何もかもが白い病室の中で、彼女は長い睫毛を伏せて言った。

――でもね、移植って、他の誰かが死ぬことによってしか叶わないことなんだよ

そうかもしれない。でも、その人の命を継いで、その人の一部を生かすためでもあるんだと、わたしは思う。
死んですべてが消えてしまうんじゃなくて、その細胞が他の誰かの肉体を助け、いっしょに生きて行けるのなら、それはそれで意味のあることなんじゃないかな?
生きるってさ、どういうことなんだろ?
少なくとも、今のこの体が消えたら終わりだなんて悲しいじゃん。
別に移植じゃなくてもさ、誰かが覚えていてくれるとか、わたしが持っていた何かを大事にしてくれるとか……。何だっていいから、忘れられるのはいやだな。
一人ぼっちになるなんて寂しいもん。

あれ? もしかしたら、闇の風って、そういうものなのかな?
誰かに覚えていて欲しいから、忘れられたくないから、また同じことをしちゃうとか……。
あまりいい考えとは思わないけど、気持ちはわかるような気がする。もっとも風に気持ちがあるのかどうかなんてわからないけどさ。
とにかく、早苗ちゃんにはもっとずっと先まで生きていて欲しい。トラみたいに逝かないで! いつまでもわたしの友達でいて欲しいんだ。
煙はどんどん上に昇って、開いた窓の向こうへ流れて行った。


結局、その日はおばあさんの家でいっしょにお昼を食べた。
お弁当は持っている。今日は夏海さんが作ってくれた。おかずはシャケと唐揚げと卵焼き。
田中家の人達にはほんと、感謝してる。いつか、そのお返しができたらいいのだけれど……。

「本当に、いいお友達ができたようね」
おばあさんが言う。
「うん。学校ではいやなこともあるけど、わたしを庇ってくれる人もいるからがんばれるよ」
「捨てる神あれば、拾う神あり。世の中はいつも持ちつ持たれつなんだよ」
そう言って、おばあさんは微笑した。

「ところで今朝、わたしがここへ来る前に、誰か来なかった?」
食後のお茶を飲んでいた時、わたしは気になっていたことを訊いた。もし、あのバカ親がここに来ていたらと思ったから……。
けれど、おばあさんは穏やかに首を横に振った。
「いいえ。誰も来なかったよ。どうして?」
「いえ、それならいいんですけど……」
わたしは最後のお茶を飲み終えると湯飲みを置いた。

そして、午後には外に出掛けた。少しでも募金を集めなきゃ……。
人通りのありそうな場所に立って呼び掛けると何人かの人は足を止めたけど、大抵はそのまま歩き去って行った。
募金はなかなか集まらなかった。

夕方には駅の近くまで行ってみた。今日の許可はもらってなかったのだけれど、駅の方が人もたくさんいるし、効率もよさそうだったから……。
その人混みの中に、わたしは今井の姿を見つけた。彼は「FINAL GOD」の生き残りの一人だ。
わたしは今井を呼び止めた。

「ひぇっ! キラちゃんじゃねえか。おまえ、無事だったのか?」
「もうっ! 何て声出してんのよ。無事に決まってんでしょ!」
「噂では熊井さん達、殺られたんじゃないかって……。でなきゃ、メンバーがことごとく失踪するなんてげせねえもんな」
今井は周囲を気にしながら小声で言った。
「そうなの?」
わたしは、その件については黙っていることにした。説明するのも面倒だし、どうせこいつは信じたりしないだろうから……。

「それよりねえ、今日はちょっと協力してもらいたいことがあるの」
わたしは趣旨を書いたチラシを渡し、手短に募金のことを説明した。
「それでね、どうしても人手が足りないのよ。少しでも多く、そして、早くお金を集めたいの」
「へえ。それで、その早苗ちゃんってのはかわいいのか?」
「もちろんよ。笑うと天使みたいにかわいいの。ね? そんな子を死なせるなんてかわいそうでしょ? お願い! あんたも協力して!」
今井は一瞬だけにやついたけど、すぐに真面目な顔をして言った。

「そんじゃあ、ダチにも声掛けてみるよ」
「ありがと! 感謝するよ」
「任しとけよ。なるべく早く集めりゃいいんだろ? 手段は問わないよな?」
「うん。今は少しでもお金が欲しいの。平河も協力してくれてるんだ。だから、今井も頼むよ」
「わかった。で、集めた金はどこに持って行きゃいいんだ?」
「わたしか、姫百合中学校の武本先生に……。何なら平河でも大丈夫だから……」
「わかった。そんじゃな。おまえもがんばれよ!」
「あんたもね!」
よかった。これでまた、少しは増やせるかも……。